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2013年9月13日金曜日

そもそも教育とは何か?

ウィキの知識を借りるならば

リチャード・ピーターズが基準を満たす活動として限定的に定義した3つを考え

教育内容 - 価値あるものの伝達
教育効果 - ものの見方が広がる
教育方法 - 学習者の理解を伴う


幼児教育とは、そもそも教育という定義には当てはまらないらしい(研究対象になっていない)ので、ここに既に違和感がありますが。

価値などが分からず、手当たり次第に見たい幼児には、ものの見方を広げる必要がないだろうし、幼児が学んでいる事は教える側の理解を超えます。



教育とは何なのか?を結論付けようとすると、それは国策であったりします。

政治にうとい親が、教育を語れないなあと、何だか反省に至っています。




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2013年9月9日月曜日

体験派も幼児教室派も、目指す成果が同じなら大差ないのでは?

教育に対して方針を立てるのは、本当は大切なことなのではないかとおもいます。

特に幼児期が、その子供の本質のようなものを決定付けるとしたら、彼らが本当の意味で力を発揮して生きていく世界を想定しての教育が必要かなと思ったりします。

脳科学云々はさておき、人間の脳が生まれてから成長するということのポイントとして、環境適応できるように、あそびを残しているということだと思うからです。

その脳をどう生まれた環境に適応させるかという意味での、決定的な差なのだろうと思います。だから


戦時中の日本なら、愛国心だったのかもしれないし
江戸時代なら、商人と武士とで、教育は全く別物でしょうし


問題視されやすいですが、日本では「いい大学に入って、いい会社に就職するのが成功だから、その為にお勉強ができた方がいい」という構図があると思います。


つまり、幼児教育とは、そこにその親の今後の読みが、結構重要なのだと思います。


自然体験を多めに の人も
家庭学習重視 な人も
幼児教室にお任せ の人も
ドッツカードに夢中 な人も

その矛先がお勉強に向かっている
「いつか出会う受験のため」なら大差ないんじゃないかな?と思ったりします。


いや、そんな目的はないの。

ただ、この子がのびのびと育てば。。。というのであれば、それは何だか、放っておけばいいというか。。。


でも、少なくとも人間としての基本スペックを装備するには、自然学習も大切で、それは今の日本だと、放っておけば習得できる環境ではないのだと、痛切に感じます。

いろいろ足りないと感じる部分が多いですが、選択できるものはやっていきたいなあと思ったりしています。



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