勉強的な幼児教育としては、マイナスに間違いない父の入院。毎週休みは病院に行っています。慌しい日常も、更にそのための準備で追われ、何だかもうバタバタでめちゃくちゃです。
ただ、病院での息子と父(じいじ)とのやりとりや体験も、それがプラスというより(そういう言い方だと変ですね)息子の人生経験の一つだと、私自身が最近受け入れるようになってきました。
父は難病にかかってしまっていて、今回、更に悪性憎悪です。それほど先の話ではなく、死が忍び寄っていることを感じます。残された時間と言うと、何だか重いのですが、幸い本人に苦しみや痛みなどが今のところなく、そういう意味では、今を大切にしなければ、今何ができるのだろうということで気持ちは日々、必死です。
息子はなぜかじいじが大好き。
だからこの先、そう先でなはい時期に、死という意味を、幼児なりに体験することになると思います。
できればずっと、じいじのことを覚えていてほしいけれど、何かこちらが意図してどうこうするより、息子なりの受け止め方があるでしょう。
死も、大人のようにはわからないと思いますが、それでも何かしらの説明を大人が試み、それを受け止めることになるでしょう。悲しみまではいかないと思います。できれば悲しさがわかる歳頃まで、父が生きていてくれるといいです。
とにかく今は、父、、、じいじとの時間をなるべく作ってあげたいなと思います。
幸いにも、息子は「じいちゃんちに行きたい」と(実際は病院に行くのですが)楽しみにしてくれています。
もしかしたら、そう言うと私たちが喜ぶからなのか?というくらい、毎週毎週楽しみにしてくれます。そういうのも含めて、全てを今は大切にしたいです。
いっぱいいっぱいな日々ですが、息子のお陰で、この現実を前向きに捕らえようとする自分もいますし、何よりも健康って大切なのだと改めて思います。
幼児教育って、何なのでしょうね?
幼児というか、親の方がよっぽど教育されているような気持ちです。
ただ、病院での息子と父(じいじ)とのやりとりや体験も、それがプラスというより(そういう言い方だと変ですね)息子の人生経験の一つだと、私自身が最近受け入れるようになってきました。
父は難病にかかってしまっていて、今回、更に悪性憎悪です。それほど先の話ではなく、死が忍び寄っていることを感じます。残された時間と言うと、何だか重いのですが、幸い本人に苦しみや痛みなどが今のところなく、そういう意味では、今を大切にしなければ、今何ができるのだろうということで気持ちは日々、必死です。
息子はなぜかじいじが大好き。
だからこの先、そう先でなはい時期に、死という意味を、幼児なりに体験することになると思います。
できればずっと、じいじのことを覚えていてほしいけれど、何かこちらが意図してどうこうするより、息子なりの受け止め方があるでしょう。
死も、大人のようにはわからないと思いますが、それでも何かしらの説明を大人が試み、それを受け止めることになるでしょう。悲しみまではいかないと思います。できれば悲しさがわかる歳頃まで、父が生きていてくれるといいです。
とにかく今は、父、、、じいじとの時間をなるべく作ってあげたいなと思います。
幸いにも、息子は「じいちゃんちに行きたい」と(実際は病院に行くのですが)楽しみにしてくれています。
もしかしたら、そう言うと私たちが喜ぶからなのか?というくらい、毎週毎週楽しみにしてくれます。そういうのも含めて、全てを今は大切にしたいです。
いっぱいいっぱいな日々ですが、息子のお陰で、この現実を前向きに捕らえようとする自分もいますし、何よりも健康って大切なのだと改めて思います。
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幼児というか、親の方がよっぽど教育されているような気持ちです。
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